一般社団法人 食品品質プロフェッショナルズ会員の新 武司が執筆した記事が、食品と科学 2021年11月号に掲載されました。月刊 食品と科学様の許可を得て、公開しております。
目次
本文紹介
Food Safety Culture (食品安全文化)/ Food Safety-Ⅱを考える ①
~ 食品安全の啓蒙団体である食品品質プロフェッショナルズより ~
新 武司
Atarashi Takeshi
(一般社団法人 食品品質プロフェッショナルズ 理事)
はじめに
最近、 食品安全に関わる人たちの間で 「Food Safety Culture」 あるいは 「食品安全文化」 が話題になることが増えてきました。 このような流れのきっかけとして、 コーデックス食品衛生の一般原則の2020年改訂版への記載、 あるいは、 GFSI (世界食品安全イニシアチブ) による方針説明書の発行があります。
コーデックス 食品衛生の一般原則には、 「Management Commitment to Food Safety」 の項に、 次ページ上段のように記載されています。
※以下、 筆者訳
食品安全へのマネジメントコミットメント
食品衛生システムが有効に機能するための要は、 安全で適切な食品を提供するための 「人の行動」 の重要性の理解に基づいた、 積極的な食品安全文化の確立と維持です。 積極的な食品安全文化を育むには、 以下の要素が重要です。
- 安全な食品の生産と取扱いへの、 経営層およびすべての従業員によるコミットメント (決意)
- 正しい方向性を設定し、 すべての従業員を食品安全の実現に向かわせるリーダーシップ
- 食品事業に関わるすべての従業員による食品衛生の重要性の認識
- 食品事業に関わるすべての従業員間での、 逸脱 (≒望ましくないこと) や期待 (≒望ましいこと) 事項を含む、 オープンで明朗なコミュニケーション
- 食品衛生システムの効果的な機能を確保するための十分で利用可能な資源
経営層は、 次の方法で、 運用中の食品衛生システムの有効性を確実にする必要があります。
- 食品事業に関わる役割、 責任、 権限が明確に共有されることを確実にする
- 食品衛生システムの変更が計画、 実行された際に整合性を維持する
- 管理が実行され機能していること、 文書が最新であることを検証する
- 従業員に対し、 適切なトレーニングと指導が実施されていることを確実にする
- 関連する規制要件の順守を確実にする
- 科学、 技術、 ベストプラクティスの進展を踏まえ、 必要に応じ継続的改善を促す
また、 GFSIによる方針説明書には以下の記載があります。
GFSIのテクニカル・ワーキング・グループ (TWG) は食品安全文化を、 「組織全体にわたって食品安全に対する考え方と行動に影響を与える価値観、 信念、 規範を共有すること」 と定義しています。
なお、 GFSIによる食品安全文化の定義は、 一般財団法人食品安全マネジメント協会 (JFSM) が公表している 「JFS-C規格文書 (セクターCⅠ、 CⅡ、 CⅢ、 CⅣ/K) 〔組織に対する要求事項〕」 にも引用されており、 関連する要求事項がFSM2に示されています。
GFSIの方針説明書では、 人というより 「組織」 に焦点が当たっている印象ですが、 結局のところ 「食品の安全性確保には人が重要、 人を動かすには組織 (会社) の文化が重要」 という考えに基づくものでしょう。
さて、 日本では食品安全の実現に対し、 長きにわたり 「衛生的な環境管理」 が重視されていましたが、 HACCP制度化への対応を機に 「工程管理 (プロセスマネジメント)」 の重要性への理解が (少しずつではありますが) 確実に広がっています。 しかし、 いくら有効なHACCPプランを構築しても、 その実行には 「人」 の影響が大きいことを食品安全に関わる一人として筆者も日々感じています。
そのような中、 人に焦点が当たる 「食品安全文化」 というものは歓迎すべきことなのですが、 その実現にあたっては不安感 (あるいは違和感) があります。 本稿では筆者が考える 「食品安全文化」 の目指すべき姿をまとめてみたいと思います。
1、 文化とは他者から与えられるもの?
先に述べた通り、 食品安全文化というものが話題に上がるきっかけとなったのは、 コーデックスやGFSIによる文書です。 これらの文書の根底にあるのは 「人(もしくは組織) の自主性」 だと筆者は感じます。
さて、 「どこそこに書かれたから取り組む」 という発想で本当に文化、 つまり、 明文化されずとも自然と自主的に取り組んでいることとして定着するのでしょうか?
確かに 「何かしらの文書から気づきを得る」 のは大切なことです。 また、 何かを始めるにあたり、 ゼロから闇雲に進むのではなく、 「はじめの一歩として何かしらの文書を参考にする」 ことも時には必要でしょう。 このように、 食品安全の規格に限らず、 先人の知恵から学ぶことは多々あります。
しかし、 目的も考えず他者の作った文書をそのまま使うだけの組織 (会社) が自主性を身につけることができるのでしょうか?
GFSIによる方針説明書に記載された 「ガイドとなる質問」 に答えられる、 あるいは、 その他の食品安全文化に関するチェックリストに適合している、 というだけで 「食品安全文化が根付いた組織」 と言えるのでしょうか?
仕事柄、 筆者も食品工場に監査でお伺いすることがありますが、 食品安全の国際規格に取り組まれている会社であっても、 明らかに妥当性がない管理手段となっている、 あるいは、 検証が形式上の記録だけで終わっている、 というように 「規格の追従だけに取り組み、 表面上の対応だけで終わっている。 認証がとれればよく、 本質を理解し、 うまく活用しようとしていない」 ということを見かけることが、 残念ながら未だにあります。
このような 「文化」 を持つ組織に対し、 「食品安全文化」 と外部から言ったところで、 「書いてあることはやった。 従業員が答えることも出来る。 でも、 従業員の行動は変わらない」 というオチになる気がするのは筆者だけでしょうか?
逆に、 既に 「食の安全の実現」 が文化として根付いている組織もあります。 もっと言えば、 食品安全に限らず、 自分たちの作る製品品質向上に全員で取り組んでいる組織に出会うことも多々あります。 このような組織で働いている皆さまからは勤勉さ、 丁寧さ、 相手への敬意や思いやりを強く感じます (いわゆる 「日本人らしさ」 と言われる特徴かもしれませんが、 実際には従業員の国籍に限らず、 組織の文化となっていることも多いです)。
このような組織に、 改めて 「食品安全文化を作るために何に取り組んでいますか?」 と聞いても、 うまく言葉として答えられない気がします。 GFSIの方針説明書には、 根底にある規範と行動について、 「書かれていない」 場合が多く、 また語られもしない場合もあると記載されていますが、 文化とは確かにそのような面を持つものです (筆者自身、 日本人でありながら日本文化を言葉でうまく説明する自信はありません)。
答えられないから文化が根付いてない、 というのも間違った判断ではないでしょうか (特に日本人は、 100点満点の自信がないと 「やってない、 わかりません」 と言いがちです)。
食品安全文化に限ったことではありませんが、 目的を忘れた取り組み、 いわゆる、 手段が目的になった取り組みが意味を成すことはありません。 さらに、 新たな文化を根付かせるには組織ごとの既存の文化の影響が大きく、 進め方も組織ごとに様々になるのが当然です。 今から食品安全文化の醸成に取り組むという組織には、 「既存の文書の通りに取り組む」 のではなく、 「目指す姿は何か、 現状との差異は何かを明確にした上で、 既存の文書を参考に足りないところを埋めていく」 という発想で進めていただきたいものです。
2、 食品安全は文化となるの?
先述したように 「食品安全文化という人の行動に焦点を当てた取り組み」 を筆者は歓迎していますが、 一方、 「食品安全だけの文化を作ることは難しい」 とも考えています。
それはなぜか?
筆者の考えは 「食品を扱う人にとって、 安全は魅力がない」 というものです。
品質管理・食品安全担当者には目を背けたくなる意見かもしれませんが、 「美味しいものを作る・食べる」 のは楽しく意欲につながりやすい一方、 「安全なものを作る・食べる」 ということは特に楽しいことではなく意欲につながらないのは事実ではないでしょうか。
さて、 食品を 「組織が扱う製品」 として見たとき、 それは一定の品質を満たす必要があります。 品質という言葉はJISQ90002015では次のように定義されています。
品質 (quality)
対象に本来備わっている特性の集まりが、 要求事項を満たす程度
この 「特性」 というものは大きく3つに分類できると筆者は考えています。
- 販売する食品として最低限満たすべき特性 (安全性、 法令等の公的基準への適合等)
- 製品として一定の基準を満たすべき特性 (成分規格、 見た目、 入数・重量、 価格等)
- 価値を生み出す特性 (上記②のうち、 他の商品と差別化する特性) (美味しさ、 何らかの機能、 価格の安さ等)
この特性の分類において、 組織が力を入れ、 評価が高くなるのは、 やはり③の 「価値」 です。 一方、 ①の 「最低限満たすべきもの」 は大切だとはわかっていてもあまり魅力があるものではないため、 ついつい後回しにされたり、 品質管理・食品安全担当者に丸投げになったりしがちです。 魅力がないものを文化として定着させるのは中々に難しいことです。
では、 どうするのか?
手っ取り早い手段は 「魅力があるものの背中にのっかる」 ことです。
まず、 「自分たちで作った製品でお客さまに喜んでもらう、 製品の品質全体を向上させる」 という文化を作り、 そのための1要素として 「安全」 も文化にしていくというのが、 回り道のように見えて、 実は最も確実で早い道なのではないかと筆者は考えています。
なお、 「製品の品質向上を文化にする」 ための前提には、 「組織 (会社) に愛着を持ち、 大切にする」 という文化があります。
数年前になりますが、 食品防御が大きな話題となっていたころ、 ある食品企業の経営者の方から筆者は以下のことを学びました。
人を大切にし、 会社への愛着を持ってもらう。
その結果として、 会社を大切にする文化を育み、
当たり前のことを当たり前にする善性の高い会社にしていく。
それが食品防御だけでなく、 様々な問題解決につながる
この考え方は、 正に食品安全文化 (あるいはそれ以上のもの) ではないでしょうか。
3、 食品防御と食品安全文化
前項で食品防御について触れましたが、 食品安全文化の醸成に伴う 「従業員の会社への愛着」 や 「従業員の自主性の向上」 あるいは 「倫理観の向上」 こそが、 唯一の食品防御の手段だと筆者は考えています。
食品防御の定義は 「消費者の健康被害や社会の混乱につながる、 意図的な異物混入から、 食品 (製品) を守る取り組み」 というようなものが一般的でしょうか。
そのための手法として 「TACCP (Threat Assessment CriticalControl Point)脅威の評価と重要管理点の管理」 というものが提唱されました。 TACCPによる食品防御の進め方を簡潔にまとめると、 「潜在的な脅威を特定する⇒評価する⇒軽減方法を決める⇒実施する」 となります。 これはHACCPと同じ流れと言えます。
TACCPはHACCPと同じ流れで食品防御の対策を考えていく手法ですので、 品質管理・食品安全担当者にはなじみやすいかもしれません。 しかし、 この手法で真に意図的な異物混入 (犯罪と言ってよいでしょう) から製品を守ることができるのか、 筆者には疑問があります。 それは、 「犯罪 (意図的な悪意をもった行動) の方法を事前に想定できるのか」 というものです。
食品への意図的な異物混入に限らず、 犯罪をする人というのは、 「犯罪の結果」 はバレてもいいと考えても (あるいは、 積極的にバラすことがあっても)、 「犯罪の実行場面」 はバレないように計画を行うはずです。 実行時点でバレたら捕まって終わり、 全く意味がなくなるからです。
ということは、 犯行を計画する人は、 計画時点で防犯体制をかいくぐろうと下調べをする可能性が非常に高いです。 結果、 本気で意図的な異物混入を計画しようという相手には、 多かれ少なかれ食品防御の取り組みはバレてしまうと考えるのが妥当ではないでしょうか。
食品防御の取り組みの中で、 「意図的な異物混入」 を防ぐため 「いかに異物を持ち込ませないか」 という点に重きを置いたものがあります。
例えば、 「作業服をポケットのないものにする」 「持ち込み禁止物 (もしくは持ち込み可能品) を周知する」 「作業エリアに入る際に身体チェックを行う」 「作業エリアから出る際、 持ち込んだものを全て持ち出したかチェックする」 「(作業エリア内の危険物を悪用させないため) 薬剤は鍵付きの保管庫に入れ、 使用量を記録する」 などです。 皆様にも心当たりがあるのではないでしょうか。
このような対策を立てたところで、 本気で何かしらを持ち込もうと思えば、 いくらでも抜け道は考えられます。 ポケットがなくても服の下に入れれば、 禁止物を持ち込むことは可能です。 身体チェックもハラスメントの観点から限界があります。 もっと言えば、 チェック担当者、 鍵の管理者等、 いわゆる管理責任者が犯行を計画すれば防ぎようがありません。
世の中には確かに似たような犯罪というものは良くあります。 それらを元に、 組織にとっての脅威へ対応したり、 組織の明らかな脆弱性をなくしたりすることも大切かもしれません。 しかし、 それだけでは犯罪を防ぐことは不可能、 つまり、 食品防御は不十分なのです。 本気で組織の食品防御を破ろうとする人は 「どんな対策を取っていたところで、 その対策が無意味になるような手段で、 意図的な汚染を起こす」 のです。
このような話をすれば 「さらにそれらを防ぐための対策を考える」 と言われるかもしれませんが、 現状の対策が無意味になるような犯罪方法、 つまり 「現状では想定外の犯罪方法を延々と想定し続ける」 というものは苦痛でしかありませんし、 無意味にも思えてきます。
さて、 このような管理の限界を多くの方が感じているであろう状況で、 一手に解決するための手段はないのでしょうか?
あるとすれば 「監視」 というものだと、 筆者は考えています。
防犯という観点から 「監視」 の目的を考えてみると、 以下の3つが考えられます。
- 不審な行動の監視 (発見⇒捕獲)
- 犯行計画者への牽制 (予防)
- 事故発生後の調査
このうち、 ③は事故を防げていませんので、 実はあまり意味がありません。
監視を 「監視カメラ」 で行う場合、 ①については、 「設置箇所を明かしてはダメ (わざわざカメラがある場所で犯行に及ぶ人はいない)」 「常にモニターを見張ることが必要 (モニターを見ていないときに犯行に及ばれたら意味がない)」 という要件を満たす必要があるため、 現実的とは言えません。 ですので、 食品防御での監視カメラの目的としては 「犯行計画者への牽制」 のみが現実的には機能しているものと考えられます。
さて、 監視カメラの目的を 「牽制」 と書きましたが、 実際には 「矯正」 と言っても良いでしょう。 監視カメラを設置するということは、 悪意を持った犯罪者 (予備軍) に対してだけでなく、 悪意を持たない従業員に対しても 「見張っているのだから、 悪いことをするな」 という、 経営層の意思表示に他なりません。
これは、 「刑務所と同じ発想」 だと気づく必要があります。 従業員を監視して矯正しようという組織に、 「従業員が組織を大切にする文化」 「品質向上に取り組む文化」 「食品安全文化」 が根付くわけがありません。
食品防御の最重要事項として 「従業員の不満解消」 「従業員のつながり」 などを挙げている組織が 「監視カメラ」 を設置するのは大いなる矛盾です。 そのような意見を見越してか、 名前を 「品質カメラ」 「安全・安心カメラ」 等にしている組織もありますが、 名前を変えても本質が変わるわけではありません。
監視カメラは食品安全文化を妨げるものでしかないのです。
では、 どのような 「監視」 が食品防御として適しているのか。
これは 「(複数の) 人の目による監視」 に他ならないと筆者は考えています。
密告が推奨されるような文化を持つ組織では、 人による監視もカメラと変わらず不満のタネになってしまいますが、 「従業員の会社への愛着」 や 「従業員の自主性の向上」 あるいは 「倫理観の向上」 を達成すれば、 「従業員によるゆるやかな相互監視」 というものは、 内部犯に対しても、 外部犯に対しても、 監視および牽制の両立が出来るのではないでしょうか。
食品安全文化をきっかけに、 「従業員の会社への愛着」 「従業員の自主性の向上」 「倫理観の向上」 に取り組み、 食品防御も解決する (食品防御を考える必要がない組織にする) ことを目指してはいかがでしょうか。