一般社団法人 食品品質プロフェッショナルズ会員の清水精一が執筆した記事が、食品と科学 2021年7月号に掲載されました。月刊 食品と科学様の許可を得て、公開しております。
目次
本文紹介
なぜ日本は新型コロナウイルスワクチンの開発ができていないのか?
清水精一
Shimizu Seiichi
(一般社団法人食品品質プロフェッショナルズ 関西大学非常勤講師 大塚製薬㈱NC事業部)
はじめに
2021年5月1日の日本経済新聞に、 「井上信治科学技術相は30日の記者会見で、 新型コロナウイルスの国産ワクチンに関し、 開発拠点設置の考え方の方向性を6月に示すと表明した」 との記事が掲載された。 5月14日の毎日新聞によると、 「政府、 国産ワクチン開発で新戦略 国による買い上げを明記」 と報道された。 いずれも、 6月2日の 「ワクチンサミット」 を意識したものである。 遅ればせながら、 国産ワクチンの開発が加速されることを祈るばかりである。
ところで、 なぜこれらのニュースが2020年5月ではないのか? と心底思ってしまう。 日本はいまだに緊急事態宣言、 三密回避、 営業自粛など、 昨年と同じコロナ禍対応を繰り返している。 そして、 何とかアメリカ、 イギリスからのワクチン輸入に目途を付けるも、 そのワクチンの接種予約、 ワクチンを注射する医師などの確保にもたつきを示している。 一方、 イギリス、 アメリカ、 中国は、 昨年中に新型コロナウイルスワクチンの開発に成功し、 ワクチン接種を進め、 経済的・社会的活動に展望を示している。 仮に、 日本でのワクチン開発が今年度内に成功しても、 この間のタイムラグは1年以上である。
コロナ禍により、 医療、 政治、 経済、 社会基盤、 ITシステムなどあらゆる分野において世界に対して自信を失うことが多く、 嘆きたくなるが、 ここでは何故、 日本が新型コロナワクチンの開発にこうも手間取るかについて考えてみたい。 私は製薬会社での医薬品開発に始まり、 米国NIHにて予防医学について学び、 帰国後は臨床栄養、 特定保健食品などの予防栄養食品の研究開発に関わってきた。 ワクチンというのは医薬品ではあるが、 患者に接種するものではなく、 健常人に予防目的で接種することから、 医薬品と予防栄養食品の間に位置するものであるとも言える。 今回のテーマに関して、 私のような者も多少の役割をなすことができるかと考えている。
先に、 結論から申し上げると、 ①新規のワクチン開発のために基礎的な知識・技術は整っている、 ②ワクチン開発のための治験 (臨床試験) 制度は整っている、 ③ワクチン・医薬品の知的財産保護、 医療保険などビジネス環境・制度は整っている なのに、 開発が進まない。 それはなぜかを最後に考察したい。 ①、 ②及び③について共通理解を得るために、 1、 ワクチン開発の歴史、 2、 生命科学研究と医薬品開発、 3、 日本の健康 (疾患含む) 関連産業について解説していきたい。
1、 ワクチンの歴史
ここではまず日本はワクチン開発の先進国であったことを示したい。 ワクチンといえば天然痘、 EdwardJenner (ジェンナー) を思い出す方もおられるだろう。 生活とワクチンに関してはインフルエンザ、 新旧三種混合ワクチン、 渡航国指定予防接種などであろうか。
免疫学の教科書、 「医科免疫学」 菊地洪吉著 (昭和51年初版) の1ページ目に、 Edward Jenner が子供に種痘を行う大理石像が挿入されている。 免疫、 すなわち疫病を免れる、 基礎の基礎がワクチンということである。 彼は、 牛痘に感染した乳しぼり婦は、 痘瘡 (天然痘) に罹らないという経験的観察により、 牛痘を接種することにより痘瘡を予防できることを証明した。 記録としては1798年のことである。 彼の研究成果は著名な医学雑誌にはリジェクトされ、 「Inquiry」 として自費出版した。 そのためか、 この手法が一般化するにはなお、 時間が経過した。 ただし、 彼の手法そのものは、 アラブ、 中国でも古くから経験的には行われていたとされる。 Edward Jenner の功績は仮説と検証の研究プロセスをたどり、 エビデンスに基づく対処方法を明示したことにあると言える。
1790年頃、 日本は江戸時代後期の中頃であるが、 もちろん天然痘は存在していた。 日本には6世紀半ばに渡来したことが日本書紀にたどれる。 新型コロナウイルスの感染と同様に、 古来より感染症は人の行き来により伝播していた。 さて、 1789年から1790年にかけて秋月藩 (現福岡県朝倉市) で、 天然痘が流行した。 秋月藩の藩医、 緒方春朔は実際の天然痘患者の瘡蓋 (かさぶた) を調製し、 牛痘ではなく人痘により天然痘を防ぐ方法を開発した。 1793年に 「種痘必順弁」 を書き表した。 少なくとも Edward Jenner より6年前のことであり、 牛痘でなく、 人痘であることと、 注射でなく鼻腔投与であったことは画期的であったと言える。 世界に先駆けて、 ワクチンによる予防方法を確立したことになる。 実は、 EdwardJenner も緒方春朔も思いつきで、 ワクチンをチャレンジしたわけではなく、 それぞれに十数年に及ぶ基礎研究の上に、 すなわち、 仮説と検証の繰り返しを得て、 実用化に成功している。
時は大きく下り、 第二次世界大戦後、 日本では1948年に予防接種法が制定され、 天然痘、 百日咳、 腸チフスなど12疾患が対象とされた。 何とも恐ろしい疾患である。 その後、 対象疾患、 対象者、 予防接種制度などが変遷していく。 このこと事態は社会の進展、 疾患構成、 国際的人流、 人口構成などによる変化するものであり、 当然のことである。 しかしながら、 この過程で、 日本は負の遺産を構築してしまったようだ。 それは、 一言で言えば、 一般社会ではワクチンと有害事象及び副作用の区別が科学的に、 行政的になされないまま今日に至っていることである。 ワクチンを含めた医薬品の副作用と称される事象について概説する。
医薬品開発における半分の作業は副作用の種類、 程度、 頻度を確認することである。 それは臨床治験中だけでなく、 承認後、 市場にでてからも副作用情報はモニターされる。 ただし、 ここで大事なことは、 ある薬剤の摂取 (接種) によって副作用らしき症状が生じても、 その症状と薬剤の因果関係が確認された時に副作用として認定される。 それまでは有害事象と言い表す。 以下は例えであるが、 ある患者さんがある新しい薬剤を摂取している試験期間内に転んで捻挫したとする。 この薬剤の摂取期間内に生じた有害事象として記録される。 一般的には、 試験責任医師はその薬剤の作用、 性質、 被験者 (患者) のその時の状況・行動などから、 因果関係はなく、 副作用とはみなさない。 偶然に生じた事象であると判断される。 しかしながら、 治験が進み、 あるいは市販後、 その薬を摂取した患者がまれに転んで骨折した、 自動車事故を起こす頻度が少し高いようだという報告が蓄積されてきたどこかの段階で、 因果関係を疑うべきとなり、 専門家による調査、 解析、 時に検証後、 因果関係が強く疑われる。 例えば、 「この薬剤の摂取によって、 まれに平行感覚を崩す副作用がある」 となる。 副作用の中には100万人を超えることによって現れることもある。 それを治験段階で見つけることはできない。 そのため、 疾患を治療するというBenefit と副作用という Risk のバランスを取ることになる。 もちろん、 有害事象が死亡や昏睡など重篤な場合は、 即刻治験は中止されることを付け加えておく。 ワクチンにおいても治療用医薬品と同様ではあるが、 対象者が患者でなく、 健常者であることが心情を制し難くさせているように思う。
さて、 薬剤と副作用の因果関係の確認には、 コッホの原則に倣うことがある。 コッホの原則は感染症の解明と治療・予防に対するセントラルドグマであるが、 ①その感染症から必ず一定の微生物 (細菌、 ウイルスなど) が検出される、 ②その微生物は単離される、 ③その微生物を接種 (摂取) させることにより同じ症状が発現される (動物試験)、 ④その病巣部にその微生物が検出される。 感染症以外の疾患においてもコッホの原則的論理構築により疾患の原因解明と治療が試みられる。
ところで、 予防接種法施行以来、 日本は新規のワクチン接種の度に、 有害事象・副作用が生じ、 大きく報道される。 1970年代、 天然痘ワクチンによる有害事象、 DPT (ジフテリア、 百日咳、 破傷風の三種混合ワクチン) 接種と死亡、 1990年代前後の新三種混合MMRワクチン (はしか、 おたふく風邪、 風疹) によるこどもたちの無菌性髄膜炎、 近年に至っても、 2013年のヒトパピローマウイルスに対する子宮頸がんワクチン (HPV) 接種後の有害事象は数多く報道された。 HPV接種に関しては、 国・自治体の推奨がなされなくなっており、 接種率は1%以下と報告されている。 毎年約2800名の方が子宮頸がんで亡くなっておられる。 2020年度の新型コロナワクチンによる死亡者は3413名であった。 HPV接種と健康被害の関係は、 科学的には副作用でなく、 有害事象である可能性が高いと判断されても、 個人個人のレベルでは副作用との思いを断ち切れない。 多くの報道は有害事象とはせず、 副作用 (有害作用) とする。 前述のコッホの原則をワクチンによる有害事象及び副作用に適用して対処することにも限界がある。 そのようなことも考慮して、 日本には予防接種健康被害救済制度があるが、 いざ、 自身、 子供のことを思うと万が一もないことを願う。 その心情は理解できるが、 自身が社会の一員と考える必要もあるとも言える。
- 要点1
- ワクチンの開発には基礎研究の礎が必要
- 同、 使命感を持った研究者による努力が必要
- 研究成果として記録、 報告されなければ活用されない
- ワクチン接種には有害事象が伴い、 副作用がないとは言えない
- 個人のこととして、 ワクチンと有害事象を受け入れがたい心情がある
2、 生命科学研究と医薬品開発
Edward Jenner, 緒方春朔以降、 細菌学、 ウイルス学、 免疫学などの研究が脈々と積み重ねられ、 今日に至っている。 Louis Pasteur (パスツール)、 Robert Koch (コッホ) に始まり、 日本人では、 北里茂三郎、 志賀潔、 野口英世などが特筆される。 最近の日本人の医学・生理学ノーベルプライツァー、 利根川進、 山中伸弥、 大村智、 本庶佑は免疫学、 細菌学を基にしている。 これらの顕学以外にも、 免疫学の分野においては数多くの日本人研究者が国内外で活躍しきたし、 現在も活躍している。
Edward Jenner, 緒方春朔の時代から今日まで、 生命科学研究は数多くの事象・真理を発見し、 画期的な発明をもたらしてきているが、 研究基盤・制度も大きく進歩してきている。 例えば、 研究倫理、 知財 (特許)、 利益相反などは、 今回のワクチン開発とも大きく関わっている重要なシステムである。 これらを集約した形で理解できるのが、 医薬品開発であろう。
今日、 世界に通用する新薬を開発できる国はさほど多くはない。 十数か国であると言えるが、 根本的には最先端の生命科学の知識・技術、 臨床研究体制、 研究倫理審査システム、 特許制度、 利益相反基準が透明性を持って確立されていなければならない。 あまり知られていないが、 日本は新薬開発においてトップクラスの国で、 世界的に評価されている医薬品はいくつもある。 数例を次に記す。
- カンデサルタン (プロプレス)
- オルメサルタン (オルメテック)
- 高血圧症治療薬
- リュープロレリン (リュープリン)
- 前立腺がん治療薬
- プラバスタチン (メバロチン)
- ロスバスタチン (クレストール)
- 脂質異常症治療薬
- タクロリムス (プログラフ)
- 免疫抑制薬
- アリピプラゾール (エビリファイ)
- 抗精神病薬
- トシリズマブ (アクテムラ)
- 関節リウマチ治療薬
- モガムリズマブ (ポテリジオ)
- 成人T細胞白血病リンパ腫治療薬
- ニボルマブ (オプジーボ)
- 抗悪性腫瘍薬
また、 前述の大村智により開発された駆虫薬ストロメクトール (イベルメクチン) は、 人だけでなく、 家畜にも適用され、 人獣の命のみならず、 開発途上国の生活及び経済をも支えている薬剤である。
このように、 日本は新規の医薬品を研究開発できる能力と制度を整えた国である。 難点を言えば、 医薬品開発の最終段階である PhaseⅢ臨床試験から新薬承認までには、 日本では時間を要することが多い。 それは対象疾患の患者数、 治験参加同意者数の少なさに加え、 治験登録・進捗・審査期間等のシステムが米国ほど効率的でないことにある。
医薬品の開発ステップを図示する。
基礎研究・非臨床試験、 すなわち新薬の候補を新たな仮説とスクリーニングにより選びだし、 安全性を確認し、 大きくは3段階の健常者・患者での臨床試験を得た後、 安全性、 有効性、 有用性が申請国の新薬承認システムにより審査され認可される。 新型コロナウイルスワクチンの開発においても、 基本的には同じステップを踏むわけであるが、 緊急性を加味してどのような合理的判断を下し、 開発を急ぐかは、 製薬会社と治験実施国の科学的力量による。
今回の新型コロナウイルスに対するワクチン開発においては特筆すべきことが2点ある。 1点目は必要最低限の安全性を確認の上で、 臨床試験を実施した。 2点目は一部のワクチンは全く新しい手法で調製された。 1点目は非臨床試験までの安全性への要求事項とその判断であるので、 ここでは説明を省く。 2点目は重要なことであるので、 説明を加える。
従来のワクチンは、 ここでいう新型コロナウイルスそのものを大量に調製した後、 不活化と言って、 人の体で増殖しないようにしたモノ、 有害性をもたないように不活性化したモノ、 あるいは細菌あるいはウイルスから特定の部位の断片を調製したモノで、 生ワクチン、 不活化ワクチンおよびトキソイドに分類される。 今回も、 アストラゼネカ社、 ジョンソン&ジョンソン社、 中国シノバック社などのワクチンはこの分類の中にある。 一方で、 ファイザー社、 モデルナ社のワクチンは核酸ワクチンに分類される。 核酸ワクチンにはmRNAタイプとDNAタイプが存在するが、 ファイザー社及びモデルナ社は前者で、 臨床治験が進行中の大阪大学・アンジェス社によるワクチンは後者のDNAタイプである。
核酸ワクチンの開発は初めての試みで、 簡単に説明すれば、 新型コロナウイルスが人の細胞に侵入する時の結合部位に当たるスパイク状のタンパク質の設計図 (mRNA) を健常人の体に接種する。 人の体ではこの設計図に基づきスパイクタンパク質を生産する。 このスパイクタンパク質はこれまでには身体の中にないので、 異物として免疫反応が生じて、 抗体を産生し、 そのことが記録される。 やがて、 新型コロナウイルス本体が侵入した時に、 核酸ワクチンでの免疫記憶を使って、 新型コロナウイルスの感染を防ぐ、 あるいは発症の程度を軽微に抑えることができる。 この方法でワクチンが成立するのか、 新型コロナウイルスの感染・発症を抑えることができるのかは、 全く未知であったが、 ファイザー社の新型コロナワクチンBNT162b2は、 新型コロナウイルス感染による発症を95%抑える結果が得られた。 相当に高い効果であると言える。 昨年末よりファイザー社のワクチンを接種したイギリス、 米国、 イスラエルなどの国では新型コロナウイルス感染発症抑制の高い効果が実社会で得られている。
新型コロナウイルスの遺伝子配列は2020年2月に解明された。 この時点では日本も同じ時点にいた。 2020年11月16日、 モデルナ社は開発中のワクチンの有効率が94%であったことを発表した。 続いて、 11月18日、 ファイザー社は4万人が参加した新型コロナワクチンの臨床試験で、 95%の予防効果が得られたことを発表した。 2020年6月ごろ、 日本では大阪大学・アンジェス社によるワクチン開発の臨床試験を開始したとの情報はあったが、 多くの専門家のコメントはワクチン開発までには最短で2年、 場合によっては3、 4年必要とコメントしていた。 この後、 アストラゼネカ社、 ロシア、 中国も新型コロナワクチンの開発に成功している。 本年5月14日時点での、 日本でのワクチンの開発状況はアンジェス社が PhaseⅡからⅢ、 塩野義製薬と第一三共が PhaseⅡの段階にある。
日本での新型コロナウイルスワクチン開発が遅延する理由の一つに、 新型コロナウイルス感染の患者数がある。 現在でも、 諸外国のピーク時よりも低い状態にあるが、 2020年12月31日時点での新型コロナウイルス感染者数は日本が約23万人であるのに対して、 英国は244万人、 米国1974万人となっており、 日本国内でワクチンの効果を確認するためには被験者数10倍規模の試験をする必要がある。 少なくとも、 2020年度において、 新型コロナウイルス感染者数の絶対数が抑えられていたことはワクチン開発へのアクセルを弱めたと言えるが、 諸外国での共同開発はできないことではない。 多くの新薬は海外で同時に臨床試験を進めることは通常である。
現実は2021年中期を迎え、 変異株、 重症化、 若年化、 重症用ベッド数不足、 社会経済の停滞・減退など状況に直面して、 海外から輸入したワクチン頼みの状況である。
- 要点2
- 日本は世界に誇れるワクチン開発の実績がある
- ワクチン及び医薬品開発のための諸制度は十分に整っている
- 新たな科学的知識及び技術に基づく仮説の設定と検証能力を有する
- 日本では新型コロナウイルス感染症数/程度は諸外国に比べ軽度であった
- それはワクチンを開発できない理由にはならない
3、 医薬品及びワクチンビジネス
医療制度及び健康施策は各国によりそれぞれに異なるが、 新型コロナウイルスは制度、 施策に関係なく、 個人個人を直撃する。 ここまでの新型コロナウイルス感染症の制御には医療制度の前に、 社会体制が大きく影響するように思われる。 強制的に国民の行動抑制を行い得る社会主義体制の方が制御しやすいようである。 多くの民主主義の国では、 新型コロナウイルス感染症をコントロールするのに苦慮している。 そのような民主主義の国でも、 最後はロックダウンという強制力をもってコントロールする。 日本は国民と政府のあうんの呼吸の下、 三密回避、 移動自粛、 営業自粛などで乗り越えてきたが、 事態は好転せず、 危機に対する何らかの制度が必要と考えるが付け刃的で、 本質に迫れていない。
ここでは、 本論のなぜこうまでワクチン開発が後手になっているかをまとめるために、 ワクチンを含めた医薬品ビジネスについて、 簡潔に説明する。
ご存じの通り日本は国民皆保険制度で、 医薬品の処方もこの制度の中にある。 医療保険に加入していれば、 超高額の医薬品も処方される。 新規に開発された医薬品がこの制度の恩恵を受けるには、 薬事審議会で承認され、 製造承認が得られ、 薬価が定められる必要がある。 ここまでたどり着くのは至難のことである。 そのために、 アンメットニーズと言われる、 満たされていない疾病課題が重要となる。 まだ、 治療薬が存在しない、 あるいは治療効果が十分でない疾病に対して、 新薬の開発を挑む。 挑む課程は大変困難であるが、 たどり着ければ果実は得られる。 新薬であれば価格競争に巻き込まれることなく、 一定の売り上げ、 利益は堅く予測できる。
以上の観点からは、 ワクチン開発も魅力的なビジネスであると言える。 ファイザー社もモデルナ社も社会貢献と共にビジネスが成立すると考え、 一番を狙ってゴールを目指したはずである。 ファイザー社のワクチンはBNT162b1であるが、 ドイツのベンチャー企業であるビオンテック社によって開発された。 ビオンテック社は医師である Ug^urS, ahin, O¨zlem Tu¨reci 夫妻によって設立されたベンチャーで、 がんの抗体医療を長年研究している。 彼らの知識と技術を新型コロナウイルスのワクチン開発に向けた。 モデルナ社も生物学の研究者 Derrick Rossi が2000年に設立したベンチャー企業であり、 細胞にm RNAを挿入する技術を有している。
日本でのワクチン開発の先端を進んでいるアンジェス社も、 大阪大学森下竜一医師により設立されたベンチャー企業である。 がんの治療薬、 オプジーボもノーベル受賞者、 本庶佑医師の仮説を小野薬品が共同で開発したものである。
近年の画期的新薬は巨大な製薬会社が1から10まで開発するものではなく、 先駆的な仮説を見抜き、 特許権・開発権利を得て、 巨大な開発費を投資し、 ゴールを目指すことが多い。 もちろん、 製薬会社の研究者も画期的な仮説を目指して研究を行っているが、 組織の中ではローリングするうちに丸い仮説になるのかもしれない。
先程、 新規の医薬品は堅い売り上げと利益予測と記したが、 それは一般的には承認後6年間保証されるだけのことである。 6年間は特許で保護されるが、 それ以降は後発医薬品が安い薬価で市場に参入する。 ニーズが高い医薬品市場には多数参入する。 そのようなことではワクチンも同様であるが、 それ以上に、 必要とされるのは数年間だけというリスクもある。 仮に新型コロナウイルスに対して、 集団免疫が成立し、 ワクチン接種が不必要になるかも知れない。 現時点では、 新型コロナウイルスは変異株が出現し、 感染力を増すことが分かって来ており、 今後もワクチンは必要と思われるが、 昨年の段階では大きな不確定要素の一つであった。 すなわち、 膨大な投資、 これは臨床試験だけでなく生産設備等も、 が必要であるが二年で終わってしまう可能性も決してないと言えない。 とは言え、 ワクチンの対象者は全国民で巨大な市場である。 インフルエンザのような場合、 毎年、 新たな市場が形成される。 ところ、 恐らくはもう一歩踏み出せない要素として、 ワクチン接種に伴う有害事象あるいは副作用に対して、 過剰な報道、 そして集団訴訟が起こりやすいことである。 治療用医薬品が販売後、 100万人で副作用が発見される場合もあるが、 ワクチンの場合、 いきなり1千万人、 数千万人に対して、 因果関係不明の有害事象が生じ、 その責任を問われるリスクがある。
- 要点3
- ワクチンを含む医薬品ビジネスは、 ハイリスクハイリターンではある
- 日本は国民皆保険制度で需要と供給はうまく循環する (6年間)
- 新規治療薬開発にはベンチャーが重要な役割を果たすが、 日本にもベンチャーはある
- ワクチンの対象者は全国民で、 治療薬より巨大な市場が見込める
- 一方で、 ワクチンビジネスは治療薬に比べ不確定要素が高い
- 日本ではワクチン接種に伴う、 有害事象の責任を追及される可能性が高い
まとめと今ここにある危機
本件のテーマは、 なぜに日本は未だに新型コロナワクチンを開発しきれないのか? である。 要点1、 2、 3に示したように、 日本はワクチン開発の能力もシステムも整っており、 ビジネスとして成立する可能性は高い。 私がかつて所属した米国NIHは、 全米の科学技術のほぼ全予算を掌握しており、 その額は300億米ドル以上である。 ワクチン開発ために研究費を製薬会社にも排出している。 日本には、 安倍内閣の時代に、 健康・医療戦略推進のために、 NIHを模してAMEDが設立された。 AMEDはコロナワクチン開発のために500億円を供給すると報じられている。 米国は192億米ドルと報道されており、 およそ20分の1ではある。 決して潤沢な予算ではないが、 特別予算は捻出される環境にある。 しかしながら、 結果的には新型コロナウイルスワクチンの現実性は見えてこない。
ジェンナー、 緒方春朔は使命感と努力で天然痘と戦った。 ビオンテック社とモデルナ社はベンチャー企業としての集約技術を独創的に発展させた。 彼らはゴールにワープする方法を考える。 これに対して日本では一歩一歩確実に進めることを考える。 間違いがあると取り返しがつかないと。 また、 2020年5月の段階で、 ワクチンの必要性に関する危機感が薄かった。 すなわち、 危機管理の構想不足だったと考察する。 さらに言えば、 組織の役割の前に、 危機管理を構築し、 それに立ち向かうには何が必要で、 何を準備すべきか、 という発想がない。
ここで、 危機管理というならば、 ワクチン開発に負けたけれどワクチンが海外から入ってくるから良いではないかと思われるであろう。 ところがそうではなく、 新たな危機予測が必要である。 新型コロナウイルスの変異株の出現は予測されていたと言え、 頻度、 速度は予想以上に高くて速い。 現有のワクチンがいつまでも効果を示すとは考えない方が良い。 更には、 前述したようにいくつかのワクチンはmRNAを人の細胞しに入れ込む新規の技術で成り立っている。 現在、 重篤な副作用は見いだされていないが、 1年2年の中長期にわたる安全性の把握はこれからである。 さらには、 ワクチンは100%発症を制御するものではなく、 必ず重症者は発生する。 そのためには、 確かな治療薬が必要であるが、 現状は開発されていないと言える。
結局、 日本は知識も技術も制度も予算もあるが、 新型コロナウイルスワクチン開発の先頭集団に入ることはできなかった。 絶対的な患者数が少なく、 逼迫感がなかったかも知れない。 それでも明らかな国難である。 この分野における、 志とビジネスセンスを持った開拓者がいなかったことが、 敗北の第一要素と思われる。
結論が青臭いことになり、 恐縮するが、 食品、 環境などの分野でも同じようなことがあるのではないだろうか? 先駆的なことができる環境にあるのに止まったままの状態にあるようなことはないだろうか? 私自身も思い当たることがある。
今回このような執筆の機会を与えて頂いた一般社団法人食品品質プロフェッショナルズ、 広田鉄磨代表に謝辞を申し上げる。
参考文献
- 菊地洪吉医科免疫学 南江堂
- 富田英壽緒方春朔
- 厚生労働省予防接種に関する基本的な計画 (厚生労働省ホームページ)
- 大野能之日病薬誌 Vol.501114-1116、 2014
- 福岡市医師会医療情報室医療情報室レポート Vol.199、 2014
- 厚生労働省ヒトパピローマウイルス感染症 (厚生労働省ホームページ)
- 公益社団法人日本産科婦人科学会
- 松本哲也モダンメディア Vol.6710-19、 2021
- 製薬協 : くすりを創り育てる
- ワクチンファクトブック2012
- 厚生労働省 : 開発状況について (厚生労働省ホームページ)
- 増田道明 : モダンメディア Vol.6611-18、 2020
- Fernando P. PolackN Engl JMed Vol.3832603-2615, 2020